江戸・東京 世田谷区の歴史散歩

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海雲寺

海雲寺

 「品川の荒神さん」として知られ、火と水、台所の神様として親しまれています。

 等々力、奥沢の歴史散歩

 室町・戦国時代、吉良氏が勢力を伸ばし区内の有力土豪を家臣にしていく。天文二十年(1551)年頃に大平清九郎が吉良家より等々力・小山郷を給わり、奥沢城を構え周辺の開発を進めていった。ただ、九品仏起立由来書には「当山境内往古吉良殿居城之由申伝」ともある。これは、奥沢城は吉良家の出城であって、大平家の城ではないということのようである。
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満願寺 一言地蔵

 中町、尾山、野毛の歴史散歩

 中町は江戸時代から昭和7年までは野良田という地名であった。吉良氏の家臣で弦巻に居た粕谷与一右衛門がこの地に村を開いたと伝えられている。天祖神社は村の鎮守で、神社前を大山道の裏街道が東西に走り、村の中心もこの辺りにあったので「中町」と名づけられたという。
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傅乗寺(伝乗寺)

 瀬田、玉川、岡本の歴史散歩

 昔から多摩川は度々洪水にみまわれ、村が多摩川で分断されることが多かった。瀬田も多摩川により分断され、かつては全域が武蔵国荏原郡に属していたが、明治四十五年(1912)に郡境が多摩川上に設定され、以降右岸地域は橘樹郡(後に川崎市)に属すこととなった。
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