浅草周辺の歴史散歩 Part1


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雷門

 浅草寺の北部は、「浅草田圃」と呼ばれる広大な田園地帯が広がっていたが、明暦三年(1657)明暦の大火(振袖火事)により吉原遊郭も旧地人形町から今の新吉原に移り、独特の情緒の文化が開花した。また天保改革によって江戸三座と名高かった市村座、中村座、森田座などの芝居小屋も、猿若町に寄せ移り、浅草は名実共に歓楽街として栄えていった。
 明治になっても浅草の繁盛は変わらず、十二回・六区などの新たな歓楽街も出現した。
 現在では、江戸の名残と情緒が色濃く残る下町の代表的な場所として、日本人だけでなく多くの外国人たちも訪れるとともに三社祭やほうずき市では100万人を超えるにぎわいを見せている。

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雷門



雷門
 浅草寺の総門である雷門は、浅草のシンボルである。正式名称は、風雷神門。門の右側に風神像、左側に雷神像を安置しているがいつの間にか「雷門」と呼ばれるようになったなった。
 雷門は何度も火事に遭っている。寛永十二年(1635)建立、同十九年焼失、慶安二年(1649)再建、明和四年(1767)炎上。寛政七年(1795)再建、広重の錦絵に描かれた雷門はこのときのものだが、これも慶応元年(1865)に焼失した。
 

 現在の雷門は昭和三十五年5月3日松下電器の松下幸之助の寄進によって再建されたもので、昭和五十三年の開帳1350年を記念では、門の裏側に平櫛田中作の天竜、金竜二神の像が安置された。平櫛田中は谷中の岡倉天心記念公園内の六角堂、天心座像の作者でもある。
 門の間口は六間半(11.8メートル)奥行き三間(5.4メートル)。中央に吊り下がる大堤灯は、高さ4m、直径3.4m、重さ670kg。

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目黒不動尊

目黒不動尊

 関東で最も古い不動霊場で、江戸五色不動の筆頭。江戸近郊の参詣行楽として賑わいました。



仲見世



仲見世 徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいを増していった。そこで浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたことが、仲見世の始まりとされている。元禄、享保(1688〜1735)にできた仲見世は日本で最も古い商店街の一つである。
 江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へと発展していった。

伝法院

 
伝法院
 浅草寺の本坊。安永六年(1777)建築の客殿・玄関や明治四年(1871)築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正のお居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄(1688〜1704)以後この名が付けられた。
 浅草寺が天台宗に属していた頃は、輪王寺宮の御隠殿としても使われたことがあったので玄関上の瓦には菊の紋章が使用されている。
 客殿に阿弥陀三尊をまつり、その左右に徳川歴代将軍のうち十一の歴代の位牌及び浅草寺各世代住職の位牌を安置している。
伝法院 庭園



 建物の背後には、大泉池を中心とする約3,700坪の廻遊式庭園があり江戸時代初期の築造で、庭造りの名人といわれた小堀遠州作といわれている。園内には京都表千家の不審庵を模した茶室天佑庵(都重宝)、至徳四(1387)鋳造の古鐘(都重美)、などもある。

鎮護堂


      鎮護堂

 明治十六年(1883)浅草寺中興第17世貫首(かんす)唯我韶舜大僧正が建立。
 明治維新に彰義隊と官軍が上野の山で戦った時に逃げ出したいたずら狸が浅草奥山に住みつき、唯我韶舜大僧正の夢枕にその狸が立ち、保護すれば火災から護ると告げたことから、境内に棲む狸を伝法院の守護として祀ったもので、「お狸さまの鎮護堂」ともいわれている。
 現在の堂舎は、大正二年(1913)建立したもので、火防・盗難除けの守護神として信仰が厚い。毎年3月17日に「鎮護大使者御祭礼」が行われる。
水子地蔵尊

水子地蔵尊
 昭和五十三年(1978)建立の水子地蔵尊では、毎月24日午前10時に水子供養法要が行われる。



加頭地蔵尊
加頭地蔵尊
 破損した頭部をつないであるため「加頭地蔵」の名がある。
 首がつながるとの俗信から、サラリーマンらの信奉もある。
 造立年代は不明。

宝蔵門



宝蔵門
 安房守平公雅(たいらのきんまさ)が武蔵守に補任された天慶五年(942)、その祈願成就の御礼として建立されたといわれている。
 江戸時代に入り、徳川三代将軍家光寄進の仁王を納めていたことから仁王門と以前は呼ばれていた。
 昭和二十年(1945)の空襲で本堂と共に焼失したが、ニューオータニホテルの大谷米太郎氏の寄進で昭和三十九(1964)復興された。









仁王尊 国宝の「紙本墨書法華経」、重要文化財の「元版一切経」などを収蔵しているため宝蔵門と名前がついた。門全体の大きさは高さ22.7m、間口21m、奥行き8m。仁王尊は高さ5.45m、左の阿形(金剛像)は錦戸新観制作、右の吽形(力士像)は村岡久作制作である。

観音堂(本堂)



観音堂(本堂)
 観音堂(本堂)は三代将軍徳川家光が慶長二年(1649)に再建し、約300年後の昭和二十年(1945)の戦災で焼失するまで国宝に指定されていた。
 聖観音宗の総本山で、本尊は聖観音菩薩像である。江戸市中の多くの寺院の中でも最古の寺で、幕府の庇護を大きく受けていた。
 戦災によって焼失したが、昭和三十三年(1958)再建されたもので、旧本堂と同形態のものとなっている。

久米平内堂



久米平内堂 久米平内堂は江戸時代に建立され、昭和二十年の空襲で焼失したものを、昭和五十四年に再建したもので、中には久米平内という人物の石像が祀られている。
 平内の生涯には多くの諸説が残されており、確かなことは明らかとなっていないが、以下のような伝えられて残っている。
 平内は剣の道にすぐれ多くの人を殺めてきた。その供養のために仁王座禅の法を修行し、自分の座禅の像を刻ませて、自分の犯した罪を償うためにこの像を人通りの多い浅草寺の境内に埋め、多くの人に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、お堂に納めたという。
 
 その後、「踏みつけ」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願いが叶うとされて、江戸中期以降特に縁結びの神として庶民の信仰を集めた。平内は1683年(天和3)に没したとの説があるが、その生涯については明らかではない。

奥山(新奥山)

奥山(新奥山)
 江戸の昔、今の浅草寺本堂の西北一帯は、俗に「奥山」と呼ばれ、江戸の盛り場として大道芸人や見世物小屋で賑わう場所であった。
明治以後、その賑わいは浅草寺西側の浅草公園六区へと移り、六区は日本一の興行街・映画のメッカとして栄えたが、その前身が奥山であったといわれている。

瓜生岩子像

瓜生岩子像
 像は、明治三十四年(1901)に建造され、下田歌子が撰文している。岩子は文政十二年(1829)福島県喜多方市に生まれ、戊辰戦争後の会津若松市や福島市での孤児や乳幼児の世話をはじめ、済生会病院の創立や出獄者保護事業等に取り組んだ社会事業家。「仏の岩子」と呼ばれた。

橋本薬師堂



橋本薬師堂 当初は観音堂の北方にあったため、北薬師寺と呼ばれていた。慶安二年(1649)徳川三代将軍家光が観音堂の北西に建て直し、塀にかかる橋にあったので、家光自身が橋本薬師寺と名付けた。 そして、平成6年に現在の場所に移された。
  建物の概要は、桁行三間(約5.35m)、梁間三間(約5.10m)、屋根は上方を功妻、下方を傾斜にさせた入母屋造りに瓦葺で、前面にあった三間に一間の向拝は取り除かれているなど外部はかなり変わってはいるが、浅草寺境内に残る堂宇のうち、浅草神社の社殿と同時代で二天門などに次ぐ古建築である。

影向堂

影向堂
 影向堂は、元本堂南東にあったものを平成6年に浅草寺中興開山慈覚大師生誕千二百年を記念して現在地に再建されたもので、観音さまのご説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方「影向衆」を祀っている御堂である。
 堂内には中央に聖観音菩薩像とその左右に十二支生まれ年の守り本尊八体の像が祀られている。

六角堂



六角堂
 日限地蔵堂、木造単層・六角型瓦葺き造りの小堂(室町時代)。浅草寺最古の建築物で日限を定めて祈願すれば必ず霊験があるという「日限地蔵尊」を安置している。
元和四年(1618)に建立。室町時代の建造物というのは大変珍しく、都内23区の中でも現存する唯一のもの。1994年、境内整備を理由に現在地へ移されるまでは、現在の影向堂辺りに位置していた。

淡島堂



淡島堂 淡島堂は、元禄年間(1688-1703)紀伊国(現在の和歌山県)の加太神社を勧請したものである。加太神社は淡島と呼ばれる小島に鎮座し、俗称淡島明神とも呼ばれているため、この堂も淡島堂と名付けられた。祭神は少彦名命、堂内には両手で宝珠を持つ坐形の神像が安置されている。
 淡島明神は、江戸時代より女性の守り神として信仰を集め、今でも毎年2月8日になると針供養という日頃使いなれた針に感謝し、柔らかな豆腐に差して供養する多くの女性が詣でる。また、以前はこの日に限り針仕事をしない風習があった。
 現在の淡島堂は以前の旧影向堂を改修し移築した物で、昭和三十年(1956)までは浅草寺の仮本堂にあった。


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